Loading
「波のゆくさき」は、美学校の講座である「現代アートの勝手口」の修了展です。
「現代アートの勝手口」はアーティストの齋藤恵汰、中島晴矢が講師を務める一年間の講座で、本展に参加する5名の受講生は昨年春より共に現代アートについて思索してきました。
理論と実践の往復に重きを置いた課程を通し、このフィールドでこれまで行われてきたこと、そして今まさに行われていることに形而上・下を行き来しながら接し、そして最終的に各自が持っている問題意識や表現主題へどう帰結させていくか、話し合い、考える一年を過ごしてきました。
本展は修了展という一年間を締め括る位置付けの展示ですが、作家たちのその行き来のプロセスはこれからも続いていく、そんな門出の展示でもあります。ぜひその意思表明とも言える作品たちをご覧ください。
2022.4.28(木) - 5.2(月)
12:00 - 19:00(最終日17:00まで)
2022.5.1(日) 15:00 -
美学校スタジオ
〒101-0065東京都千代田区西神田2-4-6宮川ビル1階
東京メトロ半蔵門線・都営新宿線/三田線 神保町駅
A2出口より徒歩4分
Web
/
Twitter
VR / AR
事業に企画・エンジニアとして携わる一方、作家として主に仮想的な技術や媒体がどのように社会へインストールされていくのかを観察し、制作する。
2013-2015年 GoldSmiths College BA Fine Art 在籍。
Twitter
/
Instagram
東京経済大学経済学部在学中
Web
/
Twitter
/
Instagram
ロンドン芸術大学キャンバウェルカレッジにて彫金を学び、現代クラフトという形で表現。日常的にそばにある物から、いつもとは少し違った方向へ考えを巡らせることが出来るような作品を創作していく。
その後、日本に帰国し半導体メーカーで翻訳担当として勤務。その間、創作活動は一時休止状態に。
2019年に再び創作活動を再開。素材やジャンルに囚われず、現代アートに近い方向で活動中。
Linktree
植物と美術の関係からパフォーマンスやペインティング、インスタレーション等様々な表現を試行錯誤中。また、二人監督二人主演の映画制作ユニット「凹凸」としても活動中。
2017-2021年多摩美術大学絵画学科油画専攻修了
4/29 15:00- / 17:00-
4/30 15:00- / 17:00-
5/1 13:00- / 15:00-
5/2 15:00-
4/28 pinkデー
4/30 Gothicデー
5/1 kittyデー
5/2 終焉の天使デー
「子どもが積木をもって遊んでいるとしよう。箱のなかにはいっている積木はまだ何の相互関係もないから、集合にすぎない。ところが、子どもがこの積木で舟をつくったとしたら、もうそれは一つの構造だ。つぎにその子どもが、飛行機をつくりたいと思ったら、どうするだろうか。」「そうだね。その舟をいちどバラバラの集合に壊してしまって、初めから新しくやり直すだろうね。舟を一部修正していって飛行機にするより、かえってやりやすいだろう。」
── 遠山 啓 『現代数学対話』 岩波書店 1967
本展に参加するわたしたちは、もともと同年に美学校で出会っただけの集合であったが、一年間の関わり合いを通じてお互いに関係を築き、そしていま展示を共に作り上げようとしている。これはつまり、集合に関係を加えることで、ひとつの構造へと成形する作業である。前述の『現代数学対話』の引用になぞらえると「一艘の舟」をつくる作業とも言えよう。
集合の要素であるわたしたちは、舟が解体されたあとはバラバラとなり、再び一要素へ戻るか、或いは別の集合へと散らばっていく。この「集合、関係、構造」のシステムはグループ展そのものに通底する理論である。
ところで「構造」という語を数学界へ積極的に導入した人物といえば、ニコラ・ブルバキの名が挙がるだろう。このブルバキとは、実は架空の人物の名で、実際にブルバキを構成していたのは10名ほどのフランスの若手数学者たちであった。
メンバーたちは皆フランスの名門校出身の天才であったが、ブルバキという集団の構造は、個々の才能と熱量をひとつの大きな駆動力へと変化させることに成功し、全7000ページ以上にも及ぶ教程『数学原論』を執筆する大仕事を成し遂げた。近代以降の数学的基礎を築く、その野心的な構想によって、ブルバキという舟は20世紀の数学界に多大な影響を与える大航海を成したのであった。
さて、わたしたちはどのような舟か。偶然できあがった集団には「集合に関係を加え、構造を作る」
作業の、その操作の必要性がより浮かび上がってくる。そこで設計される構造とは、詰まるところ「ニコラ・ブルバキという人物」のような架空のものだ。しかし展示空間や人間関係において、わたしたちは現に関係し合ってもいる。このアンビバレントな状態に、ブルバキの集団的機能と同じ創発可能性を見出したいのだ。
ハラルド・ゼーマンは、異なるバックグラウンドを持つアーティスト同士がひとつの展示でゆるやかに結びつく調和状態について「Structured
Chaos(構造化されたカオス)」という表現をしたが、それは「集合、関係、構造」の移行過程が持ちうる、しなやかな創発性への眼差しから生まれた言葉であろう。
構造の間で内発的に立ち現れる「一艘の舟」を、できるだけ遠くへ行けるかたちに築き上げること。
それがわたしたちにとって、より自然で、そして重要なことと思われたのだ。
いま、ここに「一艘の舟」がそびえる。その舟はテンポラルな、解体されることが前提の舟だ。しかしこれこそが、わたしたちを岸から旅立たせることのできる唯一の舟である。
2022.04.20
私は記憶の限り数回しか舟に乗ったことがない。詳しく覚えているのは知らないおじさんに言われたことをそのまま信じ、船酔いがひどくならないように地平線を見続けていたことぐらいだ。もちろんその時の詳しい日付は覚えていない。時間にラベリングされることなくその記憶は私の中に存在している。この展示がなければ舟のことを調べることは当分なかっただろう。
2022.02.23
舟は運搬道具であり、構造物に外部が侵入しないように構成されている。構造物を作り、それにより水を排他的に扱うことで舟としての存在を認めることができる。
観客としてのあなたが見ているその景色は私たちが規定し、自ら壁となった構造物の中から見るものである。自然とは数学、科学により知覚可能なものになり、一定の法則により斥力をかけてくるのだが、だからと言って本来のそれらを感じることは舟の中からでは不可能である。水を感じたいのなら実際に落ちて全身で感じるべきなのではないか。暴挙だろう。
2022.02.27
一講座の受講生として集められた構造としての私たちには交換可能性しかないが、それが簡単に発揮されるわけではない。それは民主主義と資本主義により起こるジレンマのようなものである。
ただ、私たちが特別だと言っているわけではないが、あなたはこの舟を操作することはできる。先人が木の内部をくり抜いてそれで川を渡ったように、氷山に船体をぶつけ劇的な最後を遂げるようなことも、家族と動物たちと大洪水を乗り切るようなことも能動的な操作として行うことができる。その行方を確認するのは私たちではなくあなたである。そうでもしてくれなければこの構造は舟ではなく水の凶暴性を剥奪された花瓶として再構築されてしまうので…
2022.03.13
展示と共に解体される「いまここ」にいるあなたに反抗の余地はない。視点の対象を含めた支配的なエクリチュールを断片とし相続する。
2022.03.16
岡崎乾二郎が右と左には差異があるが、その差異を示す外的な差異はなく結局は主観になってしまうと言っている。
幼児期に鏡を使い反射し初めて獲得する自己のまなざしと近代化により解体され分散したまなざしの間を認識し、まなざしから脱出せず「私の目」を断片とすることで存在することができる。そのプロセスが近代以降の革命の技術ではないか。